政権交代の夜に [僕自身のこと]
現在(8/31 0:40)の時点で、民主が単独300議席獲得ですか。(NHKによる衆院選速報)
政権交代で日本が変わる、わけがないと僕は思っています。
というか日本も世界も、民主主義と資本主義が組み合わさっている以上、
現状が変わるわけがない。
人嫌い [僕自身のこと]
じゃじゃーん!
お久しぶりです。
ID、pass忘れてないか不安になったくらいずーっと見てませんでした…
でも両方一発でいけました笑
まぁこんなくだりは何度も何度もやったので置いといて、本題へ…
今日は僕が人嫌いな話です。
半年振り! [日記]
本当にお久しぶりです。気づいたら半年振りです。(この類の挨拶何度目だろう…笑)
書こうと思う内容はちょくちょく見つかるんですが、どうにも手をつける気にならなくてここまで来ました。
そして今回書こうと思った内容があって重い腰を上げてみて、
以前書いてないか検索してみたらまさにありました笑
最近考えていたことがまんまでびっくり!
こちら。
そんなわけでまた思いついたら書きます。
あ、今so-netブログってアクセスランキングがわかるんですね。
今日は16898位でした。
ちょっと面白いのでとりあえず3000以内くらいを目指して頑張ってみましょうか!
僕の恋愛観 [僕自身のこと]
僕は読んでいないので引用することはできませんが、要約すると次の2点が話題になりました。
1.付き合った相手を「身内」と捉えるか、「一番親しい他人」と捉えるか。
具体的には、友人たちと一緒にご飯を食べに行ったとき、自分(男)が取り分ける際に、
彼女に一番初めに渡すか、一番最後に渡すか。
「一番親しい他人」と捉える人は、彼女だからこそ優先する。
「親しき仲にも礼儀あり」である。
2.付き合う前はなんでも言うことを聞いてくれるけれど、付き合った途端に態度が変わる。
誤解 [本・映画の紹介]
ダンス・ダンス・ダンス(村上春樹 講談社文庫)
何度読んでも面白くて、最近また再読しています。
そしてその度に面白いと感じる部分が変化・増加しています。
そこで今回、なんだか非常に考えさせられたある一節を紹介します。
ある種の人間は僕を実際以上に愚鈍だと考えるし、ある種の人間は僕を実際以上に計算高いと考える。でもそれはどうでもいいことだ。それに「実際以上に」という表現は、僕の捉えた僕自身の像に比べてということに過ぎないのだ。彼らにとっては僕はあるいは現実的に愚鈍であり、あるいは計算高い。それは別にどちらでもいい。たいした問題ではない。世の中に誤解というものはない。考え方の違いがあるだけだ。それが僕の考え方だ。
なるほどなぁ、と思いました。
それでいろいろと考えていて、ただ一つだけ付け加えたいな、と。
情報の不足、または考え方の違いがあるだけなんだと思います。
ただ、不足した情報の中での評価というのも仕方のないものだから、やはり考え方の違いしかないのかな、とも思います。
考え方、価値観、基準の置き方。
つまりはその違いがあるから誤解が生じているように「誤解」してるだけなんだなぁ…
(別にうまいこと言おうと思ったわけではないのですが笑)
さぁ、2008年度 [日記]
気がつけば2ヶ月以上経っていました…
卒業をかけた試験、引越し、姉の結婚式、研究室の引越し、などどたばたしていました。
正直blogのことを大分忘れていました。
でも久々に少し読み返してみて。
そのときどき思ったことをこうやって文字にしておくのは良いことだな、と改めて思いました。
(何度目かわかりませんが…)
また少しずつ書いていきたいです。(とりあえず現在の意気込み。笑)
今日から大学院生。
実感はありませんが、とりあえず向こう5年精進したいと思います。
経験 [僕の意見(人生観)]
さて、僕も大学4年生の冬を迎え、卒業、大学院進学と言った時期に差し掛かってきました。
世間ではセンター試験がありましたね。懐かしい。今思うと、あれってなかなか良いな、って思います。
するべきことが明確だし、したことに対してきちんと結果が返ってくるし、問題が表層的に見えてなかなか奥が深かったりするから味もあるし…
ま、そんなことはさておき。
この時期周りを見ていても、大学生活最後の時期に差し掛かっている友人が多いです。
そういった人を代表に、また普段から様々な場面で、
「なにごとも経験だし。」
「一回やってみなきゃわからんし。」
「今しかできないことだしさ。」
といった言葉を聞きます。
本当にその通りだとは思うんですが、そんな肯定的な意見はそこら中溢れているので、ここはやはり批判的に。
科学 [僕の意見(人生観)]
社会問題と言うよりは人生観かなと言う話です。
あ、カテゴリーのことです。ときどき悩んだりしながらちゃんと毎回決めています。
今回、自分でも2回に分けて書いたくらい長いです(笑
「続きを読む」以降はまた違う機会に、というくらいのつもりで読んで下さい。
科学。
なんのことを指すのでしょう?
きちんと言葉で説明できるでしょうか?
浪人生の頃、英語の文章をいろいろと読んでいる中で、
scienseについて論じている文章も多くて、そういう文章で指すscienseとはなんなんだろう?
数学は含まれるのかな?
なんて思ったことがあります。
大きく言えば、人文科学(社会科学かな?)と自然科学に分かれると思います。
いわゆる、文系/理系もこれとほぼ同じ分類かなと感じます。
しかし、ともに「科学」。
一方で、日常で科学と言うと、自然科学を指している文脈が多い気がします。
そして、わざわざ科学という言葉を使う時は否定的な文脈が多い気がします。
気がするだけで実際は違うのかもしれませんが…
科学でなんでもわかると思ったら大間違い、とか、
科学でわからない素晴らしいことがたくさんあるんだよ、とか。
もう少し違う言葉で、科学(自然科学)を否定しているのもよく聞きます。
なんでも数字で判断すればいいってもんじゃない、とか、
データでしか物事を判断できないなんてつまらない、とか。
僕の好きなMr.Childrenの詞にもこんな言葉があります。
数字やデータで未来はつくれない
〜「四次元 Four Dimensions」収録 「ヨーイドン」より
さて。
少し話を戻して。
人文科学と自然科学。
この2つの違いはなんでしょう?
ともに「科学」である所以は?
僕が思うに、どちらも出発点と目標は同じだと思うんです。
辿る道筋、つまり手法が違うだけ。
どちらもある命題を見つけて、それが正しいのか間違っているのか判断したい。
そのときに人文科学は、人の思想とか歴史とか、
(ほぼ)言葉でしか表せないものを扱っているために、
その論理を作り上げる際にも言葉に頼らざるを得ない。
だからその言葉が作り上げる論理が、
本当に飛躍していないか、どれだけ信頼性があるのか、
それを「言葉」だけを頼りに判断するわけです。
そしてその一般性、客観性を求める時に、対象が思想や文化であるがゆえ、
異文化との比較検証を試みる。
一方で自然科学は、数学を筆頭に、物理、化学、地学、生物学であっても、
数字で表して、数字で判断しているわけです。
こちらでは言語が数字であり、文が式であるのでしょう。
だから論理も数字を判断することで確かめられる。
やってることは同じでしょう?
障害と病気 [僕の意見(社会問題)]
障害は治せないもので、
病気は治せるものだと思っていました。
その定義は今でも自分の中で変わっていないのですが、
先日(結構前)講義で興味深い話を聞いたので、それについて書きたいと思います。