ひとりひとつ? [僕の意見(人生観)]
発端は、ある作家さんなのですが。
その人が仰っていたことで、今までひとりひとつだったものが、これからはどんどんひとつでなくなっていくだろう、と。
まぁ今までの例で言えば、テレビとか電話とか、一家にひとつだったものがひとりにひとつになって、電話はひとりにひとつとも限らなくなって来ています。
靴だってそう。
車だってそう。
家だって人によっては。
さて、こんな話を知っている僕が、自分の経験の中でふと思ったこと。
朝型、夜型 [僕の意見(人生観)]
朝型と夜型ってありますよね。
僕は小学校の高学年くらいから、「ああ、自分は夜型なんだな」とずっと思ってきました。というか、生活習慣がそんな感じ。
夜になると元気になりますし。
中学時代に、夕方勉強しようと思っても家の周りが騒がしいし、深夜に勉強するとすごく静かで集中できるのに気付いて以来は、もう本当に板についています。
基本的に、昼間はいつも眠たいです。高校でも授業中はほとんど寝ていたような…
だけど、大学でこれから実験とかも本格的になってきて、講義も午前中にも大事なのが多くなってくる。だからそろそろ朝型に生活習慣を変えようと思ってるんです。
そのために、まずは23〜24時に寝ることから始めます。
そして起きる時間を少しずつ早くしていこうかな、って。
こういう決意をしていた中で、今日ふと思ったこと。
なんで、世の中は朝〜夕方に働くのが基本になっているんだろう。
社会に出るとなるとなぜ朝型にならなければいけないんだろう。
こういった疑問に対して、思いつきました。
夜は、昔から「遊ぶ時間」だったんですね。
だから、そもそもみんな、自分の本領を発揮できる時間帯に遊びたくて、労働と言う面白くないものを、全力が出ない午前中〜夕方に持ってきたんじゃないかな、って。
これ、なかなか的を射ている気がするんですよね。
つまり、基本的に人類は夜型だ、と。
どうでしょう。
五感で感じられないもの [僕の意見(人生観)]
眼を閉じれば、なにも見えない。
耳をふさげば、なにも聞こえない。
鼻をふさげば、なにもかげない。
舌で触れることがなければ、なにも味わえない。
触ることができなければ、なにも感じられない。
だけど、どれが閉ざされてもいつだって感じられるものがあるはず。
それが他人との関係の本質だと思う。
自分自身は常にそうなんだから。
偉い人と偉そうな人 [僕の意見(人生観)]
前記事にいただいたコメントからいろいろと考えていて、改めて「偉い」ってなんだろう、と疑問を抱きました。
役職が責任の強い立場、つまり管理職にあることを「偉い」と表現する人が多いように思いますが、それは絶対に違う。あれはただ全体を見渡す立場にあって、自分の責任下にある部分のミスが自分のミスになると言う意味で、リスクが大きいからもらえるお金が多いと言う単純な分業であって、人間の価値を計るものではない。だからみんながみんな出世したがる(管理職に就きたがる)ことが僕はおかしいと思うんですけれど。全体を見渡す能力、指示を出す能力に長けている人がその立場にいればいいだけで。向き不向きだと思うんですが。
それで、僕なりの結論としては、
「偉い」とは「他人から敬われるべきである」、という評価のことだろうと思いました。
ここで広辞苑の登場。
えら・い【偉い・豪い】
1、すぐれている。人に尊敬されるべき立場にある。「ー・い先生」
2〜4まで他の意味もあるのですが、こちらはこの意味とはかけ離れたものであるので割愛。
なんというか、正解?笑
そしてこの意味で、努力すること、働くことは偉いことではない、ということが言いたかったのでした。
そうそう、偉そうな人、というのは、偉い人だからこそできる言動を、偉くもないのに勘違いして行なう人なんでしょう。中身が伴う人がすれば、偉そうな言動がふさわしく見える。順序が逆ですけれど。