言葉を含むコミュニケーションの不完全さと、プラス思考 [僕の意見(人生観)]
長いタイトルですね。
コミュニケーションと言う言葉は、どうしても一言の日本語では表せない気がします。
言葉であれ、行動であれ、
対他人のものはもちろん、自己完結しているものですら、
それは受け手であり観察者の価値観に照らしあわされた上でその人に伝わってしまいます。
だからどうしたってコミュニケーションは不完全になります。
すごく当たり前のことを無駄に硬く書いていますが。
つまりなにが言いたいかというと、
結局人と人は理解しあうことはできないんです。
解り合うことなんてできない。
だけどあきらめちゃいけないと思います。
きちんと伝わらないとわかっていても、
なにも言わないよりは言ったほうが、
少し言うよりはたくさん話したほうが伝わる。
できないことはわかっていても、
やるかやらないかが大事なんだと思います。
解り合えないけど、解り合おうとすることがすごく大切で、価値のあることなんじゃないかと思います。
2007-01-29 04:29
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ナガサキさん、こんにちは^^
「上手なコミュニケーションの取り方」なんて、なかなかマニュアル通りにはいきませんよね。
解り合えないけど、何となくおさまりが良いとか違和感がないなど、そのような感触でコミュニケートできれば、まぁ「良し」ということになりましょうか。
相手を理解しようとしても、相手が理解されたいと思っていなければ、なかなかうまくは進まないものです。
お互いに理解し合おうとする関係よりも、理解したい人と理解されたい人のエネルギーバランスが取れている関係の方が、うまくいくような気がする・・・
とふと思いました。
by パキちゃん (2007-01-31 14:16)
>パキちゃんさん
コメント&nice!ありがとうございます。
>相手を理解しようとしても、相手が理解されたいと思っていなければ、なかなかうまくは進まないものです。
本当にその通りだと思います。
ここでも結局受け手側(というか、結局は自分以外)がすべてを担っていると感じます。
バランス、という言葉に尽きると思います。
お互いに理解され(し)たがっていてもどこにも向かいませんし。
しかし思惑は時と場合にも左右されてしまいますし、本当に難しいです。
タイミングとバランス。
でも、だからこそ面白いのだろうと、そう思います。
by ナガサキ (2007-02-05 03:08)