障害と病気 [僕の意見(社会問題)]
障害は治せないもので、
病気は治せるものだと思っていました。
その定義は今でも自分の中で変わっていないのですが、
先日(結構前)講義で興味深い話を聞いたので、それについて書きたいと思います。
その先生は、奥さんが聴覚に障害を持つ方で、手話で会話をしているそうです。
しかしあるとき。
その先生が子供をお風呂にいれていて、バスタオルを持って来るのを忘れたことに気付いたそうです。
そして奥さんにバスタオルを取ってもらおうと思って、「おーい」と声をかけたそうです。
そこで、奥さんは耳が聞こえないことを思い出すと同時に、
奥さんが障害を持っているわけですが、夫婦生活としては自分が障害を持っているとも言えるのではないか、
と感じたそうです。
実際、音声言語のない文化であれば、聴覚障害はその文化の中では障害とも病気とも呼ばれません。
その先生がなにか具体例をあげられていたのですが、それは忘れてしまいました…
とにかく、その先生が仰りたかったのは、
障害と言うのは絶対的なものではなく、相対的なものであるということ。
なにが障害か、というのは文脈によって変化する。
その話を聞いて自分でもいろいろと考えていて。
確かに、他にも手や足に障害を持つ方の場合も、
今後義手や義足が発達すればそれは「治せる」(日常生活を以前通り取り戻せると言う意味で)ようになるわけです。
そうなればそれは病気(この場合ケガという方が適切ですが)となるわけです。
知能面における障害も同様に、「治せる」ようになるかもしれないし、
あるいは文脈、つまり社会側の考え方が変われば障害でなくなるかもしれない。
障害って、そういう相対的なものでしかないんだな…と。
例えばこんな話もあります。
車いすの方がスーパーで買い物をしていたそうです。
そのときにある人が、
「お手伝いしましょうか?」
と声をかけたら、
「一人でできなければ来ていません」
と冷たく返されたそうです。
障害とは一体なんでしょうか。
人によって受け取り方が違うものなのでしょう。
だから、障害者と健常者なんて線が引けないものだと思います。
日常生活に困難がなければ健常者?
身体的に明らかな障害がなくても日常生活に困難があれば障害者?
なにが誰にとって障害なのでしょうか?
バリアフリーとはどうあるべきなのでしょうか?
どんな障害を持っていてもそれで日常生活に困難がなくなればそれが平等でしょうか?
わかりやすい文で。
障害が相対的、ほーなるほどなって思いましたよ。
でも、どうあるべきかって考えると、思考がストップします笑
あ、京都に決めたんですよね。
おめでとう!!
by いと (2007-09-07 02:26)
>いと
コメントありがとう。
遅くなってごめんなさい。
確かにね。なんでもそうだと思うのだけれど、いろいろと知れば知るほど、
どうすりゃいいのかって本当わからなくなる。
でもそこで考えるのをやめちゃだめだよね。
さらに情報を集めつつ、考え続けなきゃ。
頑張りましょう。
京都に決めたよ!
ありがとう!
by ナガサキ (2007-09-19 23:37)