障害と病気 [僕の意見(社会問題)]
障害は治せないもので、
病気は治せるものだと思っていました。
その定義は今でも自分の中で変わっていないのですが、
先日(結構前)講義で興味深い話を聞いたので、それについて書きたいと思います。
理想的な社会 [僕の意見(社会問題)]
社会と言うか、企業における制度と言うか。
「偏見・差別・人権」という一般教養科目のレポートを書いていて。
リレー講義でいろいろな先生が話し、それぞれ課題を出していてその中から2つ選択してレポートを書くんですが、その中に「高等教育を受けた女性労働力率が低いことについてどう考えるか」、という課題があったんです。
それでいろいろと考えながら書いて。
そのことから抜粋して意見を。
お金とは労働であり、それは権力によって無限になる [僕の意見(社会問題)]
大きく言えば、エネルギー問題。
というか、まぁ結論をそこへ持っていくのですが。
以前の記事を読み返していて、ある記事のコメント内で自分が書こうとしていたことを見つけたので書きます。
(なんかこの記事ものすごく懐かしい。笑 W杯ですねぇ。まだ半年ちょっとしか経ってないのに、すごく前の気がします。)
自殺が流行っているのか? [僕の意見(社会問題)]
この問題は静観するつもりだったんですけれど、
どうにもおかしな感じに話が進んでいるので少しだけ私見を。
まず、果たして最近本当に自殺者は増えているのか?
僕が聞いたことあった話として、自殺者は年間1万人程度いる、というものがありました。それを考えると、1日平均20〜30人自殺していることになりますよね。
だから別段増えていないと思いますが…マスメディアお得意の、今まで扱ってなかった問題を扱い始めただけでさも増えたかのように見せる手法ですかね。
増え続ける少年犯罪はどこへいったのでしょうかね。
あ、これもその一巻と言う流れか…
さてさて、そんな不確かなデータではあれなので、調べてみました。
警察庁発表 自殺者の統計
35000人もいるのですか…1日100人計算ですね。
興味深いのは、
H10年がなにかしらターニングポイントになっているのではないか、という点と、
学生の自殺者数は、ここ30年弱のデータを見る限りほとんど変化していない、という点。
まぁこのデータの信憑性についてはわかりませんが…
どうなんでしょうね。
でも、ここ何週間かの中での局所的な事実だけを追って騒ぐよりは、こういうデータを事実として受け止めて議論した方が有意義かと思いますが。
石原都知事の発言を支持するわけではないですが、
僕も、死にたきゃそんなとこに手紙送ってないでさっさと死ねよ、って思いますね。
僕も自殺を考えた時期もありましたし。
一緒にしたらダメですか?人それぞれ、事情の深さ、辛さは違うでしょうが、それを言うなら自殺していった人々よりはるかに辛い思いをしながら生きている人もいますからね。そんなの言い訳でしょう。
要は、そんななかで自分は生きていこうと思うか思わないか。
なんのために生きていくのか。
それを自分なりに考えて、見つけるしかないでしょう。
少なくともあんなところに手紙送っているような人は、自殺する勇気もないのでしょうね。
それと、政治家がああいう発言をする是非について。
僕はいいと思いますけど。
政治家全員が、いろいろな方面にびびってありきたりの、台本どおりの台詞しか吐かない現状がおかしいと思いますが。
政治家それぞれが、自分の人間としての味を出して、その上で政策をぶつけあって選ばれていけばいいのではないでしょうか。
そんなとこで。
アリストテレス [僕の意見(社会問題)]
ある講義のテスト勉強を通して、授業のレジュメを読んでいて見つけたフレーズ。
前提知識を少し。
アリストテレスは国制の形態を3種類に分けています。
1つ目が、1人の主権者による「王制」。
2つ目が、限られた主権者による「貴族制」。
3つ目が、大衆が主権者となる「ポリス制」。(財産査定制とか『国制』とも呼ばれる)
またさらに、これらが逸脱した形態として、次の3種類をあげています。
「王制」に対して、「僣主制」。
「貴族制」に対して、「寡頭制」。
「ポリス制」に対して、「民主制」。
あるべき形態においては、主権者は公共の利益を目標とします。
その点で、王や貴族たちは、貧困層が不正を犯して手に入れようとする「富」を持っているために、より全体を考えられます。そのため、(善い)「王制」が最も望ましく、「ポリス制」が一番劣悪なものとなります。
一方で逸脱した形態においては、主権者は己の利益を目標とします。
その点では、「王制」が逸脱した「僣主制」が最も悪く、「民主制」が最もマシなものとなります。
さて、予備知識はこれくらいとして、次の一節を。
というのは、僣主制は独裁者の利益を目標とする独裁制であり、寡頭制は富裕者の利益を目標とするものであり、民主制は貧困者の利益を目標とするものであって、それらのうち、いずれとして、公共に有益なものを目標とするものではないからである。
移動 [僕の意見(社会問題)]
ルーヴル美術館展
が、東京と京都で開催されます。
これに限ったことじゃないんですが、美術品を移動するという神経はどういうものなんでしょうか。
どう考えたってリスクが高すぎる。金額がどうこう、保険がどうこうじゃなくて、取り返しがつかないんです。
だったら同じ金額かけて日本人がフランス行くツアーを大々的に組めばいいじゃないですか。
どう考えたって人間が移動した方がリスクが低い。
というわけで興味はありますが僕は行かないつもりです。
やりたがり [僕の意見(社会問題)]
例えば、NPOとかサークルとかブランドとかお店とか、ベンチャーとか。
なにか自分の持つ理想があったとします。
こんなことがしてみたい、なんて。
そこで、既存の団体や企業を回ってみて(それすらしていない人々もいるように見受けられますが)、ちょっとでも自分の理想と食い違うようだと、
「なら自分で作れば良いじゃん」と安易に発想する。
確かにこういう積極性って大事な場面もあると思うんです。
既存の枠にとらわれないように行動するためにも。
ただ、あまりにもそういう発想が、その産物が多すぎる気がするんです。
ほぼ同じ目的、目標を持ちながらも各々が好き勝手やっている。
無駄が多すぎませんか?
どこでなにをやるにしても多少の我慢はつきものでしょう。
上のような理屈を掲げる人を見て、自分も、とそういった我慢から逃げようとしているだけにしか見えないんですが…
それで結局こける。
だからニートやフリータが増えるんでしょう。
でも、まぁそれって社会が豊かになって来ているともとれるから、その意味ではいいことなのでしょうが。
僕はそういった「やりたがり」がすごく嫌です。
一つ一つ積み重ねて来ている人達が、人手を求めているかたやで、
やりたがる人達がまた勝手に始める。
うーん。
競争原理ってそんなに大事でしょうか?
ちょっとずれるかもしれませんが、テレビ局による選挙速報とか。
どれだけの人材と時間とエネルギィが無駄になっているか…
過渡期なんですかね。
徐々に落ち着いて欲しいものです。